子供の頃、大体、僕の場合は中学生くらいから大学生くらいまで、なんだけれど、年をとった今から考えると、すごく恥ずかしいことをしてきたなぁ、と思うことは誰にでもあると思う。

ただ、僕の場合は、たぶん、そういう、「若いころの恥」が他人よりも多いようで、そのせいで、今でも、中学生や高校生の頃の友人と会うことを尻込みしてしまう。

いや、恥が人間より多いわけではないかもしれない。こういう若いころの恥ってのは誰にでもあることなのだろう。それに、ほとんどの同級生たちは、たぶん、他人の恥ずかしいことを一々覚えていたり気にしていたりするほど暇じゃない。自分で思うほどには、他人は僕のことを一生懸命覚えていたりはしない。人間誰しも、自分で思っているほどの重要人物ではないし、他人は、あなたのことなんて(少なくとも、あなた自身ほどには)気にしてはいない。

そんなことはわかっているけれど、でも、尻込みしてしまうのだ。
つまりは、僕は自意識過剰なのだ。

30歳になった頃、もし、核戦争が起こって、僕の卒業した中学校と高校にミサイルが落ちて、なぜか、そこに置きっぱなしになっていた僕の卒業証書が燃えてしまう、という変な夢をみたことがある。たぶん、僕は、中学生の頃の僕の記録が抹消されることを強く願っていたんだと思う。

そんな僕なんだけれど、最近、facebookとかで、昔の同級生と話して、彼らが(自分と同程度に)老化し始めて、しかも、年をとるに連れて記憶も曖昧になってきているのを見て、少し、恥ずかしい思いをしなくても良くなってきた。

みんな、昔のことなんて、自分に都合のいいようにしか覚えていないのだ。
たぶん、僕もふくめ、みんな、老化して自分に都合のいい事以外忘れてしまう老人になってしまうのだろう。だから、きっと、僕のような自意識過剰な人間でも、それほど恥ずかしい思いをせずにいきていけるのだろう。

そういう風に思うようになって、それで、劣化し始めた自分の体を見ながら、老化ってのは悪いことばかりじゃないのだな、と言い聞かせています。