そろそろ、スティーブ・ジョブズという人について、僕の思うところを書いておくことにする。

なんで今頃って、思うかもしれない。本当は、このエントリーは、彼が死んだと聞いたときに書きたかった。ジョブズという人を、僕はそれほど高く評価していない。それほど低い評価をしているわけでもないのだけれど。で、この追悼一色の中で、死んだばかりの人に対する批判も含むエントリは書きにくかったのだ。

僕がスティーブ・ジョブズという人の名前を最初に聞いたのは、今から20年以上前、中学生の時だった。 

中学生になった僕は、なぜか、コンピュータのプログラミングに興味を持った。たしか、ゲームを作りたかったんだと思う。ドラゴンクエストが流行っていたのだ。当時は、入門用のプログラム言語といえば、当然、N88-BASICだった。パソコンは、今よりずっと高価で、だから自宅にパソコンなんて買ってもらえなかったから、プログラムは、学校で授業中にノートに書いて作った。それを、帰り道に電気屋に寄って、店頭においてあるパソコンに打ち込むのだ。打ち込んだプログラムは、カセットテープに入れて(後には、これが、フロッピーに変わった)持ち帰る。

そういう中学生だったから、自宅にパソコンがある友人や先輩にはずいぶん世話になった。時間のかかるデバッグは、そういう友人の家に長居をさせてもらって行うのだ。 

そのころ、そういう友人の家の一つで、はじめて、マッキントッシュを見た。他の見慣れたマシン、富士通のFMシリーズやNECの98シリーズなどと比べると明らかに違った雰囲気のマシンだった。初めてみたときには、ずいぶん癖の強い、扱いにくいマシンだと思ったのを覚えている。

その友人の紹介で、僕よりも少し年上の、アップルファンの高校生や大学生の友人たちができた。スティーブ・ジョブズという人は、彼らの中では、一様に低い評価をされていた。

評価は「低かった」。間違いではない。当時のアップルファンの中で、ジョブズの評価は高くなかった。ジョブズは低い評価をされていた。

当時のアップルのファンたちは、アップル社がマッキントッシュを作る以前に出していた製品、AppleⅡの時代からのファンが多かった。 AppleⅡは、事実上、世界で初めてヒット商品となったパソコンで、とにかく凄いマシンだった。だから、当時、僕より少し年上で、これを触ることのできた幸運な連中は、みんなパソコンを作る、あるいはパソコンで何かを作るエンジニアに憧れた。ファンたちが一番憧れていたのはAppleⅡの設計をした天才、スティーブ・ウォズニアックだ。

ジョブズは、エンジニアではなかった。しかし、AppleⅡの成功の結果、そのジョブズのほうが、エンジニアのウォズニアックよりも金持ちになった。だから、当時の僕の周り、つまり、エンジニアに憧れる高校生たちの間では、ジョブズは、技術の分からない奴、口先だけで手柄を取り上げる奴、エンジニアをいいように使って金持ちになる汚い奴、だった。

ジョブズ自身、たぶん、そういう評判を気にしていたんだろう。だから、マッキントッシュを作ろうとしたのに違いない。

しかし、ジョブズの指揮のもと完成したマッキントッシュは全く売れなかった。

マッキントッシュは先進的なユニークなマシンではあった。しかし、先進的なソフトウェアは、当時のハードウェアにはあまりに負担が大きく、かえって不便な代物だったのだ。たしかにユニークではあったが、当時の他のパソコンと違いすぎていて、ユーザーは、どう使っていいか分からなかった。好調だったAppleの業績はマッキントッシュを出荷したせいで落ち込み、ジョブズはAppleを追放された。

僕がジョブズの名前を初めて聞いたのは、その後だ。その頃のAppleのファンたちはジョブズとマッキントッシュが嫌いだった。口先だけのジョブズがいいかげんな製品を出させたせいでAppleの業績が落ち込み、多数のエンジニアがリストラされたことを憤っていた。追放されたにも関わらず、ジョブズがAppleの大株主で大金持ち、天才ウォズニアックよりも金持ちで、もちろん、リストラされたエンジニアの誰よりも金持ちあることにも憤っていた。ジョブズは諸悪の根源で、口先だけの最低の詐欺師だった。

ジョブズを追放後、Appleは不安定ながら業績を持ち直した。

それからずいぶんたって、ジョブズの評価が好転したのは、皮肉なことに、AppleのライバルであるMicrosoftがWindowsを作ったことによる。マッキントッシュをパクリであるWindowsがヒットしたことで、逆に、ジョブズの作ったマッキントッシュも捨てたものではないと見直されたのだ。

しかし、Windowsは年々改良されていき、劣勢になったAppleは低迷していく。

Microsoftのお陰で評判が良くなったジョブズは再びAppleに復帰。不思議なことに、それ以降はAppleの業績は好転していく。そうなると、かつてはズルいと思われていた口先の旨さは、卓越したプレゼンテーションと好意的に解釈されるようになり、彼がエンジニアでないことは、これまた好意的に専門家にはわからない広い視野を持っていると解釈されるようになった。

Appleは、この数年で再び絶頂に達した。そして、絶頂の中で、創業者でCEOのスティーブ・ジョブズは死んだ。世間はジョブズを褒め称えた。

昔、彼を批判していた人も、今はジョブズを讃えている。昔、自分がしていた批判を忘れてしまったように。

でも、僕は、覚えている。

かつて、詐欺師ジョブズを批判していた高校生が、今は、天才経営者ジョブズを讃えるオッサンになっているのを見て、ぽくは、なんとなく気持ちが悪い。

結局、ジョブズのようなタイプの人間の業績は、評価に長い時間がかかるということなのだろう。いっときの評価は間違えているかもしれないし、逆に、今評価されている彼も、近い将来、再び口先だけの詐欺師と思われるようになるかもしれない。

僕は、実は、ジョブズの評価が、また大きく変わる(今度は悪い方に)可能性は結構高いと思っているのだ。

なぜ悪い方へ評価が変わると思っているのかというと、まあ、いろいろあるんだけれど、なんだか、長くなってしまったので、この続きはまた気が向いたら。